パールズを超えて

心理学の中で、ゲシュタルト療法なるものがあって、私はそれをよく使ってセラピーをする。ゲシュタルト療法を作ったのはパールズという人。そして、パールズは「ゲシュタルトの祈り」という以下の詩を詠んだ。

ゲシュタルトの祈り>F.S.Perls
私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。
私がこの世に存在するのは、あなたの期待に応えるためではない。
あなたも、私の期待に添うためにこの世に存在するわけではない。
あなたはあなた。私は私。
もし偶然にもあなたと私が出会ったなら、それは素晴らしいこと。
もし出会わなかったとしても、それはそれで素晴らしいことだ。
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ゲシュタルト療法を初めて勉強したとき、この<ゲシュタルトの祈り>を読んで「なるほどねぇ〜」と深く感動した覚えがある。でも更に、タブズという人がこのゲシュタルトの祈りを発展させて、以下のように記している。

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<パールズを超えて>W.Tubbs
私は私のことをする。あなたはあなたのことをする。
もしそれだけならば、お互いの絆も私たち自身も失うことになる。
私がこの世に存在するのは、あなたの期待に応えるためではない。
しかし、私がこの世に存在するのは、 あなたがかけがえのない存在であることを認めるためであり、
そして私もあなたからかけがえのない存在として認めてもらうためである。
お互いの心がふれあった時にはじめて、私たちは本当の自分になれる。
私たちの心のふれあいが失われてしまえば、私たちは自分を完全に見失ってしまう。
私とあなたの出会いは偶然ではない。
積極的に求めるから、あなたと出会い心がふれあう。
心のふれあいは、成り行きまかせではない自分から求めていったところにある。
全ての始まりは私に委ねられていて、そして一人では完結しない。
本当のことは全て、私とあなたとのふれあいの中にあるものだから。


このことは、この前、社会病理学の授業でもS先生が言ってた内容と非常にリンクしている。S先生は「自分と相手との関係性しか実在するものはないのだ」とおっしゃってた。自分の存在はあるように見えて、実はファンタジーなのだとその先生はおっしゃった。深いよな〜。一人ではなにも生まれないということなのだね。誰かと心が触れるところにしか何かは起こらないということなんだろう。