桜と彼女。

桜の季節も終わりましたね。今は少し色の濃い八重桜がちらほらと目につきます。

4月の上旬にお花見に行ったとき、桜の花を見ながらふと浮かんだ友人Mさんの顔。
小学校4年生から友達だったとっても貴重な存在。
でも友達になってから私は彼女に一つだけ隠しごとをしていました。
それは私がどんな気持ちをこれまで抱えて生きてきたかということ。
10代の頃は本当の自分の気持ちとか身の上話をしてしまうと、
友達は絶対引くよね〜とか思っていたし、ましてや友人歴が長いMさんに
関しては、真実を告げればきっと私のことを嫌いになっちゃうよねという
何とも言えぬ恐怖心が私の中にありました。嫌われたくなくて友達として
ずっと一緒にいたかったから、言えなかったんだよね。
だから中学高校の時はずっと明るい元気な女の子を必死で演じてた私。

でも一昨年、彼女のお宅にお邪魔したときに「そもそもなぜ道代は
カウンセラーになったんだっけ?」という話から伝えた私の身の上話。
もう今は誰かに嫌われるというような恐怖感はないので、「今は生きていて
よかったと幸せに感じるけど、10代の頃は自分は生まれなければよかったとか、
死にたいとか、幸せにはなれないとか思っていたんだよね」と私が告白すると、
彼女はまっすぐに私を見つめて「私・・・そんなことなんにも知らなかった。
ごめんね」と涙を流したの。そして彼女は「道代がそんな風に思って生きて
きてたなんてびっくりした・・・・私は大した問題とかなくのほほんと幸せに
育ってきたから、知らなくて本当にごめんね」とまた私に謝ったの。
「そんなの幸せなご家族の中で問題がなく育って来られたというのは
素晴らしいことなんだよ〜、幸せに越したことはないんだよ。だから謝らないで。
それに私は今とても幸せなんだから」と私は言ったのでした。
彼女はとても優しく誠実な人でした・・・。

きれいな桜を見ながら、「こんなにきれいなのにMさんはもう見られないんだねぇ」
とつぶやいた私。でもその横で弟が「Mさんはみっちゃんの目を通してきっとこの桜を
見てるんじゃないかな?」と言ってくれた。この一言にちょっとうるり。
あぁ、本当にそうかもなぁ。私が彼女のことを思っている限り、きっと彼女は
私の一部でもあるのだろうな。それに、彼女が高校卒業のときに私に書いてくれた
サイン帳には「これからもずっと友達でしょう。たとえ死んでも天国でまた友達でしょう」
と書いてあったもの。彼女がこの世界からいなくなってもう6カ月が過ぎてしまったけど、
ずっと繋がってる感覚がしっかりと私にはあるよ。