子どもの虐待について

雪が降ったりして今日は家から見える六甲・摩耶山は白い霧に包まれてました。とにかく毎日寒い!風邪を引いてしまってる方も多いかもしれません。かく言う私も昨日から少し喉の痛さを感じ、慌ててユンケルとか風邪薬とかを飲んだりしています。みなさんも気をつけて下さいね。

今日は子どもについて思うことをつらつらと書いてみることにします。私の周りでは最近妊娠しているお友達がわんさか出てきました。アメリカ人の友人も、シンガポールにいる友人も、そして東京の友人も、神戸の友人も・・・。みんな大事に小さい命を育んでいます。クラスの友人に聞けば、彼女の周りでも妊娠・出産ラッシュとのこと。これは社会的な現象なのかしら?と思ってしまいますが。

さて、何を隠そう、今私は大学院のレポート作成に追われていて、レポートのテーマである児童虐待について文献を読みあさったり、深く考えることが多いのです。本や論文を読めば読むほど、「幼児・児童虐待」がいかに日本においてはごく最近まで隠されてきたものなのかを思い知らされます。そして実際に性虐待や身体的虐待を受けて育ってきた人たちの記録を読むと、それがどれだけ過酷だったかという心の傷を感じずにはいられません。

そういうダークな面だけクローズアップして見ると、これからの日本の子どもについて不安を感じてしまいます。しかし同時に今私には何が出来るのだろうと自分ができることを探し始めています。一人の大人として、そして臨床家として。これはとても大きなテーマです。今日は車を運転していて小学生たちの群れと遭遇しました。その子たちはみんな元気に飛び跳ねて笑って横断歩道を渡っていました。エレベーターで一緒だった小学1年生の男の子も「学校が楽しい!」と笑顔一杯で答えていました。そうしたまぶしいほどの笑顔を見ると、この世界も捨てたもんじゃないよね・・・と思えてきます。あぁ、子どもみんながこんな笑顔で過ごせればいいのに。一人でも虐待で命を落とさないように、そして被虐待児が一人でも「自分は生きていてもいいし、この世にも信頼できる人がいる」と感じることができますように。

虐待についてはまずは私たちが正しい知識を身につけること、そして意識を向けることからしか始まらないのだろうと思います。精神科医で私の社会病理学の先生でもある斎藤学氏は「覚醒された市民になってください」と強くおっしゃいます。家庭という密室で起こる虐待ということに、まずは自分のコミュニティーから意識を向けていこうと思います。