セラピストの適性ってなに??

昨日大学院の友人からメールが来た。教育セラピー(←カウンセラーまたはカウンセラーの卵の人が自分の内面を見るためカウンセリングを受けること)を受けに行ったら、セラピストから『あなたはセラピストに向かない』と言われたらしい。私がまず感じたことは、「なんじゃそのセラピスト!?どこを見ているのだ??ひっどーい!!」だった。テストだけをして、なぜ向かないというのだ!?ちなみにその友人は私から見て(おそらく他の人から見ても)非常にセラピストとしてセンスがある人なのである。絶対この人いいセラピストになるよ!!と太鼓判を押せるくらいの人間的にも深い人なのだ。
私もカウンセラー適性診断コースを担当しているので、受講生にカウンセラーとしての適性があるかないかを告げる機会は多い。しかし、あるにしてもないにしても、その人がこれから取り組んでいく課題はなにかというのはしっかりお伝えする。カウンセラーの適性が現時点でないと判断されても、抱えている課題がクリアになればとてもいいカウンセラーになったりするし、逆にカウンセラー適性ありと診断されても自分の課題に取り組まなければやはりカウンセラーにはなれなかったりするのだ(例えなったとしても後々クライエントに何らかの悪影響が出る)。
ここで、カウンセラー、セラピストに求められるもの(適性)ってなんなんだ??ということについて私の意見を書いておこうと思う。一番私がセラピストとして重要視するものは「いかに自分自身と向き合い、自分のことをよく知っているか」である。自分のことを知れば知るほど、人のことも見えてくるというのは経験上そうだと断言できる。自分はセラピスト、カウンセラーですと名乗る人の中で「私はもう問題を乗り越えちゃったから、これ以上自分の内面なんて見る必要はないんです」とのたまう人がいる。そんな人はもうその時点でプロのセラピストとしての成長は終わっている(キッパリ)。色んな勉強会でプロのセラピストと称する人に出会う機会はあるが、そう言う人に限って実は自分のことはあまり分かってない人が多いのではないかと感じるのである。
私は心理学の勉強を始めてからずっと教育セラピーを受けているが、それでも次から次へと「へぇ〜、あたしの中にはこんな部分があったのねぇ〜」というようなものが出てくる。もう毎回新鮮な驚きがあり、無意識の領域の深さに脱帽する。無意識くん、君は一体どこまで深くて広いのだ・・・。そう、一生かけても自分の無意識の領域を明らかにすることなど不可能かもしれない。だからこそ、だからこそ自分の内面を見る、気づきを増やすということをやるんだよね、と私は思っている。私はこの点に関してはかなりかたくなに頑固である(笑)。セラピストを目指す人、プロのセラピストの人、あなたが考えるセラピストの適性とはなんだろうか・・・?