病気の祖母

見る角度が違うと、こうも感じ方が違うものか・・・。ということを最近実感した。92歳になる祖母が入院した。血便が出たかなんかで病気の疑いがあるため検査入院をするということだった。今まで入っていた老健施設から移動し、検査を行うため3日間の絶食を祖母は命じられた。普段車椅子生活で足腰がただでさえ弱っている92歳の小さな体には絶食はとてもきついのだろう。祖母の様態はかなり変化してしまった。昨日うちの母が「おばあちゃんが、お母さんのこと分からなくなっちゃったのよ」と泣きそうな声で電話してきた。母は結構悲観主義者だ。母は祖母が大腸がんだと決め付けた上でどんどん想像を膨らませ、そしてどんどん落ち込んでいき、もうどうしようもなくなっている様子だった。想像で色んな人に話すもんだから事態はさらにややこしくなっていっているのではないかと思う。話を聴くとほとんど彼女は想像の世界で苦しんでいる。事実と想像がごっちゃになってしまった典型だ。
私は色んな話を母から聴いたが、一つ一つ事実を確認して整理をしていった。今日はオフの日だったので、祖母のお見舞いに行ってきた。いつも私が見舞いに行くと「みっちゃん」と言葉に出してくれるのだが、今日それはなかった。ただ私を見たとたん祖母の表情が明るくなってその瞬間「みっちゃん」という心の声はしっかり伝わってきたよ。私がお見舞いに行くと、とても嬉しそうにする祖母。私はこの祖母に育てられたようなもので、魂のつながりを感じている。人はいつか死ぬし、今までいた人がいなくなるとそれはとてもさびしいことだと思う。でも魂のつながりを感じていれば私はあまりさびしいことのようにも思わないのだ。
私は祖母の生きる力を信じている。だから割と平気なのだ今回も。カウンセリングの時と同じだなぁと思う。カウンセリングのときは、私はクライアントさんのよくなっていく力を信じている。「おばあちゃん、体調よくなったらお外に散歩しに行こうね!」と力強く伝えたら、「はい」と返ってきた。おばあちゃんの生きる可能性、よくなる可能性を家族が信じなければ誰が信じるのだろうと思うよ。