御巣鷹山・日航機事故から20年・・・

今年は色んな節目の年である。終戦から60年、阪神大震災から10年、そしてあの日航機事故から20年。1985年のあの事故の日、私は高校1年生で、海外語学研修から帰国してちょうどそれも日航機で成田から伊丹に向かっていた。迎えに来た母が「ちょうど同じ時刻頃に大きな飛行機事故があったよ」と言った。そのときはあまりぴんと来なかった。心の中でどこか「ひとごと」のように感じていた。

次の日、新聞を見て衝撃を受けた。この事故で私は学年担任の先生を3名失った。先生方は中学1年生から高校卒業までの6年間、私達を受け持ってくださるはずだった。何度も何度も自分に「違う、人違いやって」と言い聞かせたが、新聞に載っている死亡者の顔写真は私たちの先生そのものだった。先生方は、私達の修学旅行の下見を終えて東北から帰る途中だった。私たちの1学年前までの高校の修学旅行先は九州と決まっていた。でも東北がとてもいいところだからということで、東北に決まったのだった。

夏の暑い日に、亡くなった先生方のお葬式に参列し、学校では3先生の合同慰霊祭が行われた。
追悼文集も作って、私達は何ともいえない悲しみと怒りをどこにぶつけていいのか分からなかった。そして自分達を責めたりもした。私はその事故以来、十数年間日航機に乗れなかった。いや、意識的に乗らなかった。許せなかったし、心は怒りでいっぱいだった。

先週追悼文集をもう一度読み返してみた。あの時の記憶が蘇って、明け方まで涙が止まらなかった。突然自分と関わりのある人間がいなくなってしまうことの大きさを感じた。

亡くなった先生が学級日誌に残した言葉が私の中でぐるぐる回る。
「生きているということは必ずいつかは死ぬと言う事です。それだから精一杯生きようと思うことが多いです。みんなも生きている今、1日1日を大切に思いっきり生きてください」

追悼文集を読み返して散々涙を流したあと見た夢には、中高の友人達がたくさん出てきた。
そして目覚めたとき、とても私は安らかな穏やかな気持ちで一杯だった。

毎年行こう行こうと思って今まで行けなかった御巣鷹山
秋になったら登ってみようと思う。今私はひとりじゃないし、やっと先生にちゃんと挨拶しに行ける気がしている。夫に「一緒に登ってほしい」というと、「いいよ」と言ってくれた。夫は私の悲しみや痛みの部分も一緒に引き受けてくれるのだ。ありがたい。亡くなった私の大好きだった先生方にも、心から感謝したい。今まで見守って下さってありがとうございます。